生ききる
私の机から阿久根大島が見える。今日は快晴、海の紺青が輝いている。
わが聖園の丘から直線3キロくらいか、島の中央に森を抜く数本の竹の穂のようなものが見える。
実はあれは松の大木で、実際、その下に立った人はその大いさに息を呑むだろう。五百年、いや、六百年は生きて来たに違いない。周りを森に囲まれているせいか、どの松もまっすぐ伸びて、その頂は揺れながらかすかに天を掃いているようだ。見事というほかない。堂々たる命の営みである。
周りに数本の大木が倒れている。白く朽ちたもの、倒れて間のないもの。赤土を掴んだくろがねの根が天を向いているもの。すさまじい暴風雨によって、一気に倒されたのであろう。
立っている松も見事。倒れた松も見事だ。すべてを運命にゆだねた命の見事さ。大島を眺めながら「生ききる」ということを考えている。
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